2014年12月12日

【001】グールドのトルコ行進曲

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 ギーゼギングにホロヴィッツ、あるいはバックハウスなど、ドヤ顔のおっさんピアニストが活躍していた時代に、突然、ジェームス・ディーンのような清涼感あふれるピアニストが登場した。グレン・グールドだ

 バッハのゴルトベルク変奏曲でセンセーショナルなデビューを果たしたのは昭和31年(1956年)。アイドル的風貌だけでなく、従来とは異なるバッハの解釈に世間は驚愕。またたく間にチャート1位に躍り出た。

 グールドは頑固一徹。バッハに限らず、モーツァルトでも驚愕の解釈をやらかしている。<ピアノ・ソナタ イ長調 「トルコ行進曲」つき K331>は、第3楽章が「アラ・トゥルカ (トルコ風に)」と注記されているところから、トルコの軍隊行進曲を想わせる「トルコ行進曲」として独立して演奏されることが多い曲だが、グールドの手にかかると、行進というよりお散歩になってしまうから愉快。そう、テンポが遅いのだ。

 不思議なことに、グールドの「トルコ行進曲」を聴いてしまうと、ドヤ顔ピアニストたちの楽譜どおりのアレグレットにイラつくようになってしまうから不思議。


 バレンボイムは、ちゃんとしたアレグレットで演奏している。


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2014年12月14日

【002】グールドのブラームス

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 昭和37年(1962年)4月6日、カーネギー・ホールでのニューヨーク・フィルハーモニックコンサート。曲目はブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」。指揮バーンスタイン。グールドは、ここでもやっちゃった。

 第1楽章に速度標語はなく、Maestoso(堂々と、威厳をもって)とあるだけだから、テンポは自由。とはいえ速すぎれば落ち着かないし、遅すぎればお間抜け。多くの場合、24分前後で演奏される。

 なのに頑固グールド、バーンスタインの解釈とは異なるスローテンポを主張したからたまらない。グ「速いな」バ「えっ」、グ「まだ速い」バ「うそっ」、グ「これこれ」バ「・・・」となったかどうか不明だが、前代未聞の遅いテンポになったことは確か。

 で、テンポに納得したわけではないバーンスタインは、曲が始まる前に指揮台から異例のコメントを発表。それがそっくりそのまま音源として残っているから愉快だ。

 どれほど遅いか。グールド=25分40秒、クリスティアン・ツィマーマン=24分33秒。いずれもバーンスタイン指揮の第1楽章。

 バーンスタインのコメントは、以下のとおり。

    Don't be frightened. Mr. Gould is here. He will appear in a moment. I'm not, um, as you know, in the habit of speaking on any concert except the Thursday night previews, but a curious situation has arisen, which merits, I think, a word or two. You are about to hear a rather, shall we say, unorthodox performance of the Brahms D Minor Concerto, a performance distinctly different from any I've ever heard, or even dreamt of for that matter, in its remarkably broad tempi and its frequent departures from Brahms' dynamic indications. I cannot say I am in total agreement with Mr. Gould's conception and this raises the interesting question: "What am I doing conducting it?" I'm conducting it because Mr. Gould is so valid and serious an artist that I must take seriously anything he conceives in good faith and his conception is interesting enough so that I feel you should hear it, too.
    But the age old question still remains: "In a concerto, who is the boss; the soloist or the conductor?" The answer is, of course, sometimes one, sometimes the other, depending on the people involved. But almost always, the two manage to get together by persuasion or charm or even threats to achieve a unified performance. I have only once before in my life had to submit to a soloist's wholly new and incompatible concept and that was the last time I accompanied Mr. Gould. (The audience roared with laughter at this.) But, but this time the discrepancies between our views are so great that I feel I must make this small disclaimer. Then why, to repeat the question, am I conducting it? Why do I not make a minor scandal − get a substitute soloist, or let an assistant conduct? Because I am fascinated, glad to have the chance for a new look at this much-played work; Because, what's more, there are moments in Mr. Gould's performance that emerge with astonishing freshness and conviction. Thirdly, because we can all learn something from this extraordinary artist, who is a thinking performer, and finally because there is in music what Dimitri Mitropoulos used to call "the sportive element", that factor of curiosity, adventure, experiment, and I can assure you that it has been an adventure this week collaborating with Mr. Gould on this Brahms concerto and it's in this spirit of adventure that we now present it to you.


 ↑グレン・グールドのピアノ協奏曲第1番第1楽章。バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルハーモニック。昭和37年の演奏。


 ↑クリスティアン・ツィマーマンのピアノ協奏曲第1番、第2番。バーンスタイン指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。演奏は昨年。昭和56〜59年の演奏。

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2014年12月16日

【003】遅けりゃいいってもんじゃなし

 ジャック・オッフェンバックのオペレッタ「天国と地獄」の劇中曲「地獄のギャロップ」は、ドタバタ喜劇の追っかけシーンなどにピッタリの大忙しの曲展開。

 それをAndante maestoso(ややゆっくりと荘重に)で演奏するのがサン・サーンス「動物の謝肉祭」の第4曲「亀(Tortues)」。がらりと曲想が変わり、見事なカメに大変身。



 ところが、あまりにもテンポを遅くしてしまったおかげで、何がなんだか分からなくなってしまったモノもある。uaと菊地成孔のアルバム「cure jazz」に収められている「Over the rainbow」だ。

 全体で10分18秒。さすがに5分ほど過ぎたあたりから本来のテンポに戻るものの、せっかちな方だと「なんじゃこれ!」の一言で5分前に終了。uaも菊地成孔も嫌いになるに違いない。


 ↑データ転送に手間取っているわけでない。テンポの問題。


 ↑さすが本家。お耳直しに。

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2014年12月18日

【004】クラヴィコードでトルコ行進曲

 中日新聞 CHUNICHI Web(平成26年12月16日付)に『耳澄まし 音色感じて 古い鍵盤楽器「クラヴィコード」』という記事が掲載された。

 それによると、16〜18世紀の欧州で広く使われたクラヴィコードが「石川県音楽文化振興事業団(金沢市)に寄贈され・・・県立音楽堂(同市)で開かれるクリスマスコンサートで初披露される」。ピアノとは異なり音が小さいため「客席を舞台上に特設し、この楽器を囲むように演奏」されるとある。

 で、モーツァルトだが、1784年に出版されたピアノソナタ(KV300 - 332)の表題には「pour le clavesin ou pianoforte(チェンバロまたはフォルテピアノのため)」と記されていて、必ずしもフォルテピアノだけで演奏するようには書かれていない。

 彼がフォルテピアノを手に入れるのはピアノソナタを出版する2年前のことだから、ひょっとするとクラヴィコードあるいはチェンバロで「トルコ行進曲」を弾いていたのかもしれないのだ。

 というわけで、クラヴィコードとチェンバロの演奏を聴きくらべてみよう。


 ↑Wim Wintersが演奏する2009年製のクラヴィコード。きらびやかでゴージャス、まるで「スパンコールがまぶしいロングドレスの有閑マダム」のようなピアノサウンドとは異なり、「アカ抜けない赤ら顔の朴訥とした生娘」のようなサウンドだ。


 ↑チェンバロといったらポーランド出身のワンダ・ランドフスカ。バッハ演奏のスペシャリストだが、モーツァルトも捨てたものじゃない。

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2014年12月20日

【005】オルガン弾きのトルコ行進曲

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 モーツァルトは自動演奏のオルガン用に曲を書いている。オルゴールを収集した「ミュラー芸術館」を運営するダイム・フォン・シュトリテッツ伯爵から依頼されたものだ。

 自動オルガンとは、ロール(紙製の巻物)やブック(折りたたみ式の冊子)と呼ばれる穴あき楽譜を機械的に読み取り、パイプに空気を送って演奏するオルガンのこと。ストリートオルガンが有名。

 現存するのは「自動オルガンのための幻想曲」「自動オルガンのためのアダージョとアレグロ」「自動オルガンのためのアンダンテ」など5曲。残念ながら自動オルガンではなく、ピアノやオルガンで演奏されることが多い。

 でも、自動オルガン用ではないのに自動オルガンで演奏されることが多い曲がある。「トルコ行進曲」だ。おそらく「自動オルガンのための〜」という冠が付いた曲よりも、すんなり耳に入ってくるから愉快。

 ちなみにストリートオルガンだが、1930年代前後のイギリスでは多くの都市で演奏禁止の条例が発令されている。朝から晩まで鳴り続けてうるさいことと、通行人から徹底的に金銭を要求することが問題になったのだ。

 当時のニューヨーク市では、街角ごとにストリートオルガンが登場。その数、なんと1500にもなったそうだ。


 ↑「46 key Pluer street organ "Piccolo"」の演奏。ハーレムの大きな教会で実演されたものらしい。


 ↑さすがパイプオルガン。重厚なサウンドで圧倒される。

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