2012年12月01日

ダイナミック昭和歌謡(1) 三橋美智也「古城」(昭和34年)

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 表紙に「忘年会・新年会これ一冊でOK」とある。カラオケの無い時代、酒を飲みながら民謡を歌っていたとは牧歌的なんだけれど、残念なことに三橋美智也ばりには歌えなかったに違いない。なにしろあの高音は、民謡歌手出身でもない限り出すことができないもの。

 でも、この年の第1回レコード大賞は水原弘の「黒い花びら」(永六輔作詞、中村八大作曲)。ロッカバラード風の曲に、低音の魅力が相まって一世を風靡したものの、やっぱり一般人が水原弘ばりに歌うのはムリだった。

面白いことに、同年のヒット曲は高音派と低音派に分かれる。高音派の代表は「古城」を筆頭に「黄色いさくらんぼ」(スリー・キャッツ)「僕は泣いちっち」(守屋浩)「山の吊橋」(春日八郎)、低音派の代表は「夜霧に消えたチャコ」(フランク永井)「人生劇場」(村田英雄)「東京ナイトクラブ」(フランク永井・松尾和子)。


引用データ:『のど自慢オール民謡歌謡全曲集』明星新年号付録/集英社/昭和34年1月1日発行 表紙:三橋美智也

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2012年12月02日

ダイナミック昭和歌謡(2) お水とは水原弘のこと(昭和35年)

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 昭和34年にレコード大賞を受賞した「黒い花びら」(水原弘)だが、同じ頃「黒い落葉」()という曲があったのをご存知か。「花びら」が受けるんだったら次は「落葉」だ、と考えたかどうかは知らないけれど、同じく永六輔・中村八大コンビによる作品。

 受賞曲が、いきなり「黒い花びら」ときて「静かに散った」とくるのに対し、「落葉」のほうは「黒い落葉が」ときて「夜の銀座を」とくる。違いは「てにをは」。前者の有無を言わさない断定的な口調とくらべ、後者の何と説明的なことか。案の定、「落葉」のほうを覚えている方は少ない。

 今でこそ「お水」と云えば水商売のことだが、当時は水原弘のこと。前述の楽曲の他に「黄昏(たそがれ)のビギン」という名曲もあった。小林旭の「ダンチョネ節」「ズンドコ節」が流行ったのもこの頃。

引用データ:『歌のスタイルブック』明星4月号付録/集英社/昭和3541日発行 表紙:水原弘

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2012年12月03日

ダイナミック昭和歌謡(3) 島倉千代子「東京の人さようなら」(昭和32年)

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 本名は芸名と同じ。「君が代」の「♪千代に八千代に〜」から千代子。昭和29年、第5回コロムビア全国コンクールで第1位入選して以来、デビュー盤「この世の花」が大ヒットしてスターの地位を確保。良くいえば純情可憐、悪くいえば田舎っぽくてアカ抜けないお姉さんという印象だった。でも、東京品川生まれらしい。

 昭和31年の1年間に出演した映画は、「東京バカ踊り」「東京の人さようなら」など10本。歌にしろ映画にしろ、何でも「東京」が付く東京大安売りの時代だったけれど、さすが「東京」+「バカ踊り」というのはインパクトが強すぎて笑っちゃうしかない。後年、歯科医師との結婚そして破局、莫大な借金を抱えるとは・・・小学生だった私も、姉ちゃんも、隣のオバさんも、床屋のオッサンも予想できなかった。

 この年、世間を賑わせた「美空ひばり塩酸事件」(浅草国際劇場に出演中、ファンに塩酸をかけられて全治3週間の火傷を負った)の犯人A子(19)の供述書には、「ひばりちゃんに比べて、自分は女中勤めの身で、初めはうらやましかったけど、そのうちに憎らしくなってしまった」とある。貧困が犯罪の根底にあった時代である。

引用データ:『三橋美智也 島倉千代子 全曲集』明星3月号付録/集英社/昭和3231日発行 表紙:三橋美智也/島倉千代子

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2012年12月04日

ダイナミック昭和歌謡(4) 春日八郎「あん時ゃどしゃ降り」(昭和32年)

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 矢野亨作詞、佐伯としお作曲の「あん時ゃどしゃ降り」は、春日八郎の代表曲。出だしから、いきなり曲名の「あん時ゃどしゃ降り」が登場し、「雨ン中」と続くユニークな曲だ。そして中盤、「初恋って言う奴ァ素晴らしいもんさ」という語り口調が飛び出し、聴く人を驚かせた。

 作詞家の矢野亮は、「おーい中村君」(若原一郎)でも時代を反映したリアルな言葉を連発し、独特の世界をつくった人だが、毎日、キングレコードに出勤する超生真面目な作詞家でもあったらしい。いずれの曲も、青春の思い出とともにいまだに覚えている方は多いと思われるが、今ならコミックソングの範疇に入れられていたかも。

引用データ:『オール民謡500曲集』明星3月号付録/集英社/昭和32年3月1日発行 表紙:春日八郎/鈴木三重子

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2012年12月05日

ダイナミック昭和歌謡(5) フランク永井と松尾和子「東京ナイトクラブ」(昭和35年)

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 高校生(17歳)の橋幸夫が「潮来笠」でデビュー。大ヒットしてレコード大賞新人賞を受賞、今で云うアイドル歌手の登場である。呉服屋のせがれだったせいか、いつも豪華な和服を着ていた印象があり、そのためデビュー時に撮影された背広姿の橋幸夫を見ると、思わず笑ってしまう。

 東京新宿では、うたごえ喫茶「灯」が全盛で、歌詞が印刷された小冊子片手にロシア民謡などを歌っていたのだからのどかな時代。「東京ナイトクラブ」はデュエットソングのムード歌謡のはしりとなり、翌年の大ヒット「銀座の恋の物語」(石原裕次郎・牧村旬子)に続くことになる。

 ちなみに海の向こうでは「ザ・ビートルズ」が結成され、ハンブルグのクラブに出演して人気に火がつき始めた頃。リンゴ・スターではなく、ピート・ベストとステュ・サトクリフがメンバーだった頃。

引用データ:『100万人のヒット・メロディー』明星2月号付録/集英社/昭和35年2月1日発行 表紙:フランク永井/松尾和子

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