2013年03月23日

懐かしの女性ポップス(01) 仲宗根美樹「川は流れる」(昭和36年) その1

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 昭和50年代中ごろ、靖国通りを市谷から九段下に向かう途中、靖国神社手前のビルに「仲宗根美樹」と大書きされた看板があった。それを見るたび、脳内に「わくらばを〜♪」というハスキーヴォイスが響き渡ったのだが、しばらくすると、看板がなくなってしまい、「わくらば」もそれまで。

 全身美容チェーン「ミキ・コーポレーション」が倒産したのを知ったのは、かなりあとのことだった。「わくらば」が「病葉」であること知ったのも、かなりあとのことだった。

 終戦の前年、沖縄で生まれた仲宗根美樹(本名仲宗根勝子)は、デビュー1年目(36年)にして人気歌手の仲間入り。同年発売した「雨の花園」のB面だった「川は流れる」が大ヒットしたのだ。そのため途中からAB面が入れ替わった。写真のジャケットは入れ替わり後。


YouTube: "雨の花園 (Ame no Hanazono)" - 仲宗根美樹 (Miki Nakasone)

 

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2013年03月24日

懐かしの女性ポップス(02)  仲宗根美樹「川は流れる」 (昭和36年) その2

 A面の思惑が外れ、B面が大ヒットというのはよくある話だが、今どきの人が聞きなおしても、なぜ「雨の花園」がA面だったのか不思議に思うだろう。

 おそらく、同時期の新人ドドンパ娘渡辺マリの人気にあやかろうと<野太い破裂ヴォイス風>で一発勝負に出たのだと思われる。ところがどっこい、歌声喫茶でB面が脚光を浴びた。

 このとき美樹、16〜7歳。大きな声では云えないが、ドドンパ娘とくらべたら圧倒的な美人。艶のあるハスキーヴォイスは、まさか十代半ばの女子が歌っているとは思えない。

 カラオケで歌っていた女人がいたが、こんな感じ。「わくらばを〜(チリーンッ)♪ きょうもうかべて〜(チリーンッ)♪」。そう、御詠歌みたいだった。ゆっくりまったり起伏なく、徐々に感情こみ上げていく「わくらば式」は難曲中の難曲なのだと思う。

 その後、これといったヒット曲はないが、いいのだ。美樹さまは一生涯「わくらばを〜♪」で。現在、銀座「クラブ美樹」のママをおやりになっているそうだから、行けば会える。のではあるが、敷居が5メートルほどの高さにそびえていそうで、踏ん切りつかず。youtubeで我慢、我慢。

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2013年03月25日

懐かしの女性ポップス(03)  江利チエミ「新妻に捧げる歌」 (昭和39年) その1

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『テネシー・ワルツ』の大ブレイク(昭和27年)で、デビュー曲にもかかわらず、一気にスターの仲間入りを果たした江利チエミ。

 今聴くと、なんだか間抜けな三拍子の洋風歌謡曲という印象で、B面の『カモナマイハウス』のほうがジャズっぽくてイカしているのだが、当時の若者たちの感性がワルツ良しとなったのだから、いまからとやかく云ってもしかたがない。

 そのころ生まれた者にとって、映画『サザエさん』シリーズ、あるいはTVドラマ『サザエさん』の江利チエミのほうがお馴染み。まるでマンガから飛び出してきたような「生きてるサザエさん」が江利チエミだった。云うことやること、しゃべること、すべてサザエさんそのもの。

 歌手デビューの前年に実母を亡くしていることや、悪意ある異父姉による借財の穴埋め、高倉健との離婚など、決してハッピー尽くめではなかった人生だったようだが、中高年の脳裏には、コケティッシュでシャキシャキした下町風のチエミ姉ちゃんが焼きついている。



 

 

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2013年03月26日

懐かしの女性ポップス(04)  江利チエミ「新妻に捧げる歌」 (昭和39年) その2

 デビューして5年目、『Music Life』誌(32年5月号)に<人気歌手への公開状>という記事が載った。書いたのはジャズ評論家の大橋巨泉。『毒舌は生れつきだが、他意は全然無いのだから書かれたままを読んで戴きたい』と念を押したあと『江利チエミさんへ』と続く。

『歌って踊れて、しかも芝居のうまい女優として大いに伸びる』かもしれないが『ボクは一寸淋しい気がする』。なぜかというと『貴女こそ日本でブルースの歌える数少ないシンガーの一人だと、期待していた』からだそうだ。

 で、ちゃっかり油井正一との共著本を紹介したあと、やたらチエミを褒め上げる。『色々なフレイジングを覚え』『発音も大分矯正され』た。

 でも『ジャズのセンスを持ち合わさない美空ひばり、雪村いずみと並んで、三人娘と称され、映画にステージにと売れれば売れる程、ジャズから遠去かって行きました』。それが残念だとのたまう。

 さらに『発音は上等とはいえませんが、初期に較べれば格段に巧くなって』いる反面、『いつまでも日本語的英語からふっ切れないのが難でしょう。五十音的英語からアルファベット的英語になった時、貴女の唄はもっとバタ臭くなる筈です』だって。

 最後に採点簿。『声の魅力九十点。声量九十点、リズム感一〇〇点、音程九十点、フィーリング九十五点、技巧八十五点、発音七十点』。このときチエミ20歳。

 3歳年上の巨泉の処世訓は「自分より格上だが、年齢が下の芸能人に対し、専門用語風の言葉を随所にまぶし、ホメながらけなす、けなしながらホメる」なんだろうね。美空ひばりを『ジャズのセンスを持ち合わさない』と云いきってしまった時点で、アウト! だと思うが。

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2013年03月27日

懐かしの女性ポップス(05)  いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」 (昭和43年) その1

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 それにしても横浜はトクしたと思う。『ブルー・ライト・ヨコハマ』の「街の灯りがとてもきれいね♪」は「街がきれいね♪」ではないところがミソ。

 今どきの横浜港あたりは「みなとみらい」とかなんとかで、とてもきれいな場所だが、ほんの30年前でもゴミの浮かぶ船溜に小汚いはしけが多数係留され、桟橋際には赤く錆びれた線路が野ざらしになっているような場末感たっぷりの場所だった。

 同じ港でも、神戸はかなりソンしてると思う。いきなり「神戸〜♪ 泣いてどうなるのか♪」だもの。しかも前川清。30年前も現在も、神戸の街は小ぎれいなお洒落街だから、泣いてどうなるものじゃない。

 さて、いしだあゆみ(石田良子)。ビクターから『ネェ、聞いてよママ』でデビューしたのが昭和39年。15歳のときだ。同年、9枚のシングルを出した結果、年末の『Music Life』誌<1964年度ML人気投票>で堂々の10位(599票)。『歌のパンチとムードも弘田三枝子に劣らぬ素質を持っています』とは同誌による評価。ちなみに1位(2079票)は弘田三枝子、2位(1856票)江利チエミ、3位(1718票)九重佑美子だった。

 芸名の名付け親は永六輔。歌の指導はいづみたく。ピーナッツや梓みちよなど、先輩たちから「ガチャ」と呼ばれていたのは、スタジオで「ガチャガチャとってもうるさい」から。テレビ番組「ビッグ・パレード」「オシャレ作戦」「バンド・ポップ・ショウ」にレギュラー出演し、今で云うマルチタレントのさきがけのような存在だった。

 ※youtube「聞いてよママ196505いしだあゆみ.m2ts」は、後半の曲が『ネェ、聞いてよママ』。




YouTube: 聞いてよママ196505いしだあゆみ.m2ts

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