2012年12月05日

戦後女性歌謡(14) 美空ひばり「悲しき口笛」その5


 美空ひばりの歌は、デビュー当時からマスコミや文化人、高学歴層から嫌われていた。歌の上手さを正当に評価せず、下品のひとことで片付けられてしまったのだ。

 残念なのは、美空にかぶせられた「歌謡曲の女王」という冠である。その冠が呪縛となり、平成元年6月に亡くなるまで「歌謡曲を歌う歌手」として活躍。淡谷のり子「ブルースの女王」、平野愛子「若きブルースの女王」、笠木シズ子「ブギの女王」・・・、すべて冠を付けられた時点で他ジャンルを歌うことを拒否された女性歌手たちである。


YouTube: Hibari Misora Jazz & Standard Collection Vol.I



YouTube: Hibari Misora Jazz & Standard Collection Vol.II

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2012年12月23日

戦後女性歌謡(01) 並木路子「リンゴの歌」その1


 昭和20年10月11日に封切られた映画『そよかぜ』(佐々木康監督/松竹作品)の挿入歌である。並木路子初の主演映画で、戦後映画第一作目であると同時にGHQ検閲映画第一作目。

 楽屋番である母親の手伝いをしていた少女(並木)が、楽士(上原謙、佐野周二)たちに助けられながら歌手になっていくというサクセスストーリーだが、見事に不入り。敗戦から2カ月目の封切りだから、疲弊した庶民に映画など観る余裕はなかったのかもしれない。

 しかし翌21年1月にレコードが出たとたんに大ヒット。戦後のヒット歌謡曲第1号となり、以降、並木はスター歌手に。ラジオでの初放送は、同年12月10日の飛行館スタジオ(芝)での公開番組「希望音楽会」。リンゴの入ったカゴを小脇に抱えた並木は、客席に降りてリンゴを配りながら歌った。

YouTube: リンゴの唄〜映画『そよかぜ』より

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2012年12月24日

戦後女性歌謡(02) 並木路子「リンゴの歌」その2


 ヒットした理由は「明日への希望に満ちた明るさが虚脱状態にあった庶民の心に灯をともした」というのが定説だが、作詞のサトウ・ハチローによると、敗戦の2カ月前、灯火管制の暗幕の下で書き上げたというから面白い。

 作曲の万城目正は、「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」でヒット以来、愛染調モノで一世を風靡した大船のドル箱作家だが、リンゴの歌について当時の雑誌に「大衆は大筋のメロディで歌いまくるので間違いが気になるけど、今では却って親しみを感じる」という愉快なコメントを残している。


YouTube: 旅の夜風-霧島昇 ミス・コロムビア.mpg.mpg

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2012年12月25日

戦後女性歌謡(03) 並木路子「リンゴの歌」その3


 3年後の昭和24年の暮、並木は鎌倉市大船の家を飛び出して以来行方不明となり世間を賑わせることになる。

 家出の理由は「夫、波多野との結婚生活がつくづく不愉快になり、口論してそのまま家出をしたのです・・・夫は私を熟愛しているが、私は夫を愛していない、夫との関係を清算して、また早く仕事を勉強したい」ということだった。


YouTube: りんごの唄 並木路子

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2012年12月26日

戦後女性歌謡(04) 平野愛子「港が見える丘」その1


 日本歌謡学院(作曲家大村能章が院長)で学んだ平野愛子は、昭和21年にビクター主催の「新人歌手コンクール」に優勝。デビューは翌22年の「お妙子守唄」だが、次に出した「港が見える丘」と「君待てども」(23年)の大ヒットでトップ歌手となった。

 どちらかといえば、それまでの歌手は声量たっぷりで姿勢正しく、東海林太郎とはいかないまでも正調派が多かったのだが、平野は違った。当時、「若きブルースの女王」と呼ばれたほど、気だるくウエットで、アンニュイということばがピッタリの歌い方が新鮮だったのである。もっとも、毛色の変わった曲は何でもブルースと呼んでいた時代だから、看板に偽りありなのだが。


YouTube: 港が見える丘 平野愛子

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