2015年11月02日

ハミ出しGS大全(33)ザ・ダーツ ケメ子の歌  昭和43年

 ザ・ジャイアンツの『ケメ子の唄』(日本ビクター)に遅れること1週間、昭和43年2月1日にリリースされたのがザ・ダーツの『ケメ子の歌』(CBSコロムビア)。いずれもデビュー盤で競作。

 結論から言うと、オリコンチャートでジャイアンツ盤が6位だったのに対し、ダーツ盤は2位。累計売上60万枚にもなった。なぜそうなったか・・・聴けばわかる。

 ジャイアンツ盤は、前月にリリースされた「オラは死んじまっただぁ〜♪」の雰囲気に酷似。終始、テープ早回しか絡んでくるから、落ち着かないったらありゃしない。中盤でサックスが絡んでくるものの、ただそれだけ。テンポが速く、演奏時間は3分。

 それにくらべダーツ盤は、出だしがオシャレ。ニール・セダカ『可愛いあの子(Next Door to an Angel)』の出だしそのものなのだが、曲に合っているから不思議。土森(ドラム)のヴォーカルが明瞭でコーラスは抑え気味。テープ早回しも、合いの手程度。テンポゆったり、演奏時間は3分50秒。編曲に浜口庫之助を採用したことが勝因だと思われる。

 ザ・ダーツの結成は昭和41年夏。翌秋、他のバンドが演奏していた『ケメ子の歌』を聴き、すぐにレパートリーに。毎日放送の番組で演奏したところ、「エエやんか」ということでレコード会社がスカウト。翌43年1月12日に上京し、すぐさま録音。前述のように、翌2月1日にレコード発売という荒ワザだった。

 以降、2枚のシングルをリリースしたのだが、いずれも売れず、昭和44年夏に解散してしまった。限りなくムード歌謡風になっていったから、できればGS界ではなく歌謡界で再デビューしてほしかった。

▲デビュー盤『ケメ子の歌』。昭和43年2月1日発売。編曲/浜口庫之助。ヴォーカルが心地よい。コミック(アングラ)・ソングでスタートしてソンしたかも。

▲B面『ブーケをそえて』。作詞/堀井正次、作曲/土森勝則。メンバーの作曲だが、ホントはフォーク・ロックをやりたかったのだろうか。ちょっとばかり、中途半端だけど。

▲2ndシングル『いつまでもスージー』。昭和43年6月発売。作詞作曲/浜口庫之助。いくらなんでも、ケメ子のあとに青春歌謡とは。トランペットの響きが悲しい。

▲2ndシングルB面『君は恋の花』。作詞作曲/浜口庫之助。東宝映画『駅前火山』の挿入歌らしいが、押しの弱い歌謡曲という印象しかない。バックのフルオケはGSに無用な気がする。

▲3rdシングル『黄色いあめだま』。昭和44年4月発売。作詞作曲/今井久。今井はパープル・シャドウズのリードギター。GSとしての存在を捨てたみたいだ。

▲3rdシングルB面『遠い人』。作詞/片桐和子、作曲/佐藤友孝。完全に路線変更したようだ。このままでいけば、ムード歌謡界で頭角を現したかもしれない。

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2015年11月04日

ハミ出しGS大全(34)ザ・ピーッコクス レッツ・ゴー・ピーコック 昭和43年

 不思議なことに、コンテストで優秀な成績を収めたグループの中から技量に秀でた個人をピックアップし、新たなGSグループをつくり上げてもセールスには結び付かない。予選会で個人成績が良かった選手をまとめた関東学生連合(関東学連選抜)チームが、箱根駅伝で下位にとどまってしまうのと同じだ。

 2枚のシングルをリリースしただけで解散してしまったザ・ピーコックスがまさにそれ。

 ザ・ピーコックスの前身はザ・ラブ。昭和42年、「第1回 ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」(ヤマハ音楽振興会主催)に出場した優秀グループから選りすぐったメンバーで結成されたグループだ。

 ポリドールからレコードデビューするとき、ザ・ピーコックスに改名。おそらく宣伝部あたりから「今どきはピーコックやで」とかなんとか言われたのだろう。当時、米国では「クジャクのオスはカラフル、人類のオトコもカラフルであるべき」という<ピーコック革命>が提唱されていて、それが日本にも入って来ていたのだ。

 ただし、ファッション誌も週刊誌も<ピーコック革命>で大騒ぎしていたものの、一般人でマネする人は多くはなかった。原色使いの奇抜なファッションを身にまとうと、今で言うチャラ男の完成。クジャクのオスのほうがマトモに見えたのだから仕方がない。

 でもザ・ピーコックスは違った。グループ名だけでなく、コスチュームまでカラフルにしてしまった。さらに昭和43年4月にリリースしたデビューシングルのタイトルも『レッツ・ゴー・ピーコック』。そこまでで止めときゃよかったのに、曲中、クジャクの鳴き声のような雄叫びを挿入してしまったのだ。売れなかった。

 さすが選りすぐりメンバーだけあって、演奏も歌もバツグン。安心して聴いていられるものの、それ以上でもそれ以下でもない。ブルージーでツボを押さえた演奏なのに、次第に単調さが鼻についてきて、聴く側のココロはちっとも高揚しなかったのである。

 9月に2ndシングル『妖精の森の物語』をリリース。こちらも売れず。やがて、解散してしまった。

▲デビュー盤『レッツ・ゴー・ピーコック』。昭和43年4月発売。作詞作曲/竹田由彦。ところで、クジャクって鳴くんだっけ。

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2015年11月06日

ハミ出しGS大全(35)ザ・ピーターズ キャンディ・ガール 昭和44年

 1回聴いただけでメロディーが頭の中に入り込んでしまう曲がある一方、何回聴いても新鮮(?)な曲がある。たとばNHKの朝ドラ主題曲。

「あさが来た」の『365日 紙飛行機』は比較的すんなり覚えられるのに、「まれ」の『希空〜まれぞら〜』は今でも思い出せないほど印象が希薄。もっとも『365日〜』は、フォークルの『あの素晴らし愛をもう一度』の出だしに似ているからかも。

 さかのぼって1960年代後半。海の向こうアメリカではザ・オハイオ・エクスプレス、1910フルーツガム・カンパニー、ジ・アーチーズがポップ・チャートに急浮上し始めた。いわゆるバブルガム(風船ガム)・ロックだ。子どもでも口ずさめるような親しみやすいポップなサウンドが、オトナのココロまでしっかり掴み始めたのである。

 つまり、1回聴いただけで覚えられるサウンド・・・多くの場合「単純明快なメロ」+「印象的なフレーズの繰り返し」であることが多いが、それを踏襲しただけではヒットに結びつかないからむずかしい。

 昭和42年、大阪で結成されたザ・ピーターズは、2年後の同44年8月に『愛のセレナーデ』でレコードデビュー。結成からデビューまで時間がかかったのは、さまざまな事情があったらしい。それでも、バブルガム・ロックをレパートリーにしていた彼等のファンは多く、デビュー盤に多くの期待がかけられていた。でも、売れなかった。

『愛の〜』は典型的な叙情的バラード。それにくらべ、B面『キャンディ・ガール』は本領発揮のバブルガム・ロックだったのだが、路線はいいものの、後半、メンバーの悪ノリが過ぎるから聴いていて辛くなる。悪ノリするのは聴く側だと思うのだが。

 その後、昭和44年11月に2ndシングル『妖精の森の物語』をリリースしただけで終わってしまった。世の中、GSブームも終焉に近かったから、もうちょっとばかりバブルガム・ロックで存在をアピールしておくべきだったのだ。

▲デビュー盤『愛のセレナーデ』のB面『キャンディ・ガール』。昭和44年8月発売。作詞/大日方俊子、作曲/すぎやまこういち。GSブームに陰りが出てきたころにリリース。さらに悪ノリが過ぎたかも。

▲ザ・オハイオ・エクスプレス『Yummy Yummy Yummy』。昭和43年リリース。メリハリがあり、聴いていて楽しい。

▲1910フルーツガム・カンパニー『SIMON SAYS』。同じく昭和43年リリース。これもイッパツで覚えられる。

▲ジ・アーチーズ『Sugar, Sugar』。昭和44年のミュージックビデオ。どこかで聴いたことがあるはず。

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2015年11月08日

ハミ出しGS大全(36)ザ・クラックナッツ 悪魔のベイビー 昭和44年

 伊勢佐木町のゴーゴー・クラブ横浜MUGENは寺内タケシがオープンした店。そこで活動していたのがザ・クラックナッツ。寺内企画所属のフィリピン・バンドだ。

 大半の方が「そんなんいたっけ」と思うのはムリもない。レコードデビューは限りなく遅く、なんとGSブームが去ってしまったあとの昭和44年8月だったからだ。

 さらに、デビュー盤が『悪魔のベイビー』だったことも災いした。『悪魔の〜』は、昭和42年8月にリリースされた寺内タケシとバニーズの6枚目のシングルだったのだ。

 結局、デビュー盤だけで終わってしまったが、AB面とも濃厚なフィリピン訛りの日本語が耳にこびりつき、良くも悪くも、1回聴いたら忘れられない曲に仕上がっているからおもしろい。

 せめて、あと2年ほどレコードデビューが早ければ、巻き舌日本語GSという新たなジャンルを築くことが出来たかもしれない。惜しいことをした。

 ちなみに、フランスの歌手フランス・ギャルが『夢見るシャンソン人形』の日本語バージョンで世間の注目を集めたのは昭和40年のこと。たどたどしい日本語が可愛かった。・・・野郎5人じゃ、可愛くないか。

▲デビュー盤『悪魔のベイビー』。昭和44年8月発売。作詞/ささきひろと、作曲/寺内タケシ。ファズなしのオーソドックスな演奏。歌はうまいのだが、全体に古臭い感じ。

▲B面『イエス・ノー・イエス』。作詞作曲、A面と同じ。訛りに訛った日本語が面白く、ほかの曲も聴きたくなってくるから不思議。演奏もよし。

▲師匠、寺内タケシとバニーズ『悪魔のベイビー』。昭和42年7月の「寺内タケシとバニーズショー」でのライヴ音源。歌はフィリピンに軍配が上がるかも。

▲フランス・ギャル『夢見るシャンソン人形』(日本語バージョン)。昭和40年9月発売。日本語訳詞/岩谷時子。「しゃんそん にんぎぃよ〜♪」だぜ。

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2015年11月10日

ハミ出しGS大全(37)P.S.ヴィーナス 青空は泣かない 昭和44年

 細身の制服身にまとい、ビートきかせてトンストトン、甘く切ない思いの限り、うるんだヒトミで一点見つめ、ときには純情、ときには剛毅・・・乙女ゴコロをわしずかみにしたGSグループだったのだが、マンネリ気味でお腹いっぱい。昭和44年春ごろからブームに陰りが見えはじめた。

 ブームがピークだったころ、それを足場に新たなステージを模索すればよかったのに、業界の誰もが「まだまだ行けまっせ」とばかり、亜流づくりにいそしんだから衰退は当然の帰結。

 要するにレコード会社、プロデューサーなど、実権を握っていた方々が戦前戦中生まれだったのが災いの元。彼らの脳内奥深くに潜む伝統的な流行歌の範疇から抜け出せなかったのだと思う。

 GSグループだって情けない。感情のおもむくまま、青春の爆発的エナジーをぶつけた自作曲があってもよさそうなものだが、先達が敷いたレールから外れることなく、作詞作曲の大先生からいただいた楽曲をありがたがっていたのだ。

 昭和43年10月に結成されたP.S.ヴィーナスの場合、本来はハード・ロック指向のグループだったらしいのだが、渡辺プロに見い出されたことで「まだまだ行けまっせ」の仲間入り。同44年10月にデビュー盤『青空は泣かない』を発売するも、売れ行き芳しくなく、1枚だけで消えてしまった。

 明らかにGSブームが去ってしまった昭和44年10月にレコードデビューというのも敗因のひとつだが、そもそもフルオケバックの明るい青春歌謡風では、この時期、勝負にはならなかったと思われる。

 ちなみにP.S.とは、追伸あとがきの意味ではなく、Power Sound(パワー・サウンド)の略なのだそうだ。だからキャッチ・コピーは「新しい音! パワーサウンドの旗手」。う〜ん、見解の相違ってやつか。

▲デビュー盤『青空は泣かない』。昭和44年10月発売。作詞/橋本淳、作曲/筒美京平。エレキはどうした! と突っ込みたくなるような青春歌謡風。映像はザ・スパイダースのものだが、バックに流れているのはP.S.ヴィーナス。

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